「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。」ヨハ17,17
イエスは大勢の人を癒し、多くの人から悪霊を追い出しましたが、イエスが神によって遣わされたことを信じなかった人も、イエスを妬んで殺そうと図っていた指導者さえも、イエスには超自然な力があることを否定することができず、それを非常に大きくて確実なものとして認識していました。不思議なことに、イエスが救い主であると信じなくても、その力だけを認め、イエスの名を使って、イエスと同じように奇跡を行い、同じように悪霊を追い出す人もいたようです。けれどもこの人たちは、「イエスの名によって」ではなく、あくまでも「イエスの名を使って」そうしたのです。
「イエスの名を使って」何かをするのと、「イエスの名によって」何かをするのとは、何が違うのでしょうか。「イエスの名を使って」働く人たちは、イエスとの個人的な関わりを持たずに、イエスの意向や望みを考えずに、ただイエスの力や権威を用いて、自分自身が良いと思ったようなこととか、利益になるだろうと思ったようなことをします。けれども、「イエスの名によって」何かをするというのは、信仰や愛によってイエスと結ばれ、心を一つにして、イエスの望みに従うことなのです。ですから、後者だけをキリストの弟子と呼ぶことができるわけです。
「イエスの名を使って」働く人は、いろいろな良いことをしても、イエスと関係のない生活を送っていますが、「イエスの名によって」働き、生きる人は、段々とイエスとの関係を深め、イエス自身の姿に変えられていきます。そのために、この人はますます力強くキリストの愛を示して、多くの人をキリストのもとに導きます。あなた自身は、どちらだと思いますか。「イエスの名を使って」働く人でしょうか。それとも「イエスの名によって」働く人なのでしょうか。
全能の神よ、 あなたのゆるしは限りなく、 そのあわれみはすべてに及びます。 あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、 永遠の喜びを与えてください。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」ヤコ4,3
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」マコ8,35-36