聖家族(A年) (マタ2,13-15.19-23)

「そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。」マタ 2,21-23

聖ヨセフは、生じた問題を解決するために、一生懸命に正しい方法、愛する人のための最善の方法を探していました。けれども、自分が良いと思うような解決の方法を見つけたとしても、神のみ旨がそれと異なると分かった時には、自分の考えを手放して、神の導きに従ったのです。聖ヨセフがこのようにしたのは、自分の愛よりも神の愛の方が大きくて、自分の知識と知恵よりも神の知識と知恵の方が大きく、更に、自分の判断よりも、神の判断の方が正しいということを知っていたからです。このように生きたヨセフは、最高の夫と最高の保護者になり、神から与えられた使命を果たすことによって、最高の人生を送り、神の心に適う人間となったのです。

創造主であり父である神は、ご自分の御ひとり子であるイエスのためだけではなく、すべての人のために特別な計画を持っておられます。実は、一人ひとりが生き始める前から、神はこの人に合わせて、この人にとって最高の計画を立ててくださり、この人がこの計画を実現するために、いつも必要な導きと必要な力を与えてくださるのです。ですから、神が準備してくださった計画が人の存在の目的、また、その意義であるとさえ言えるのです。人間は、この計画に従って生きている時だけ、創造主の意向に適って、すなわち、自分らしく生きていることも、最高の自分に、と同時に最高に幸せな自分になることもできるのです。

私たちが誰かを本当に愛していて、この人の真の幸せを求めているならば、この人を自分の想像や自分の期待に合わせるのではなく、この人自身が自分のために神が立ててくださった計画を見出せるように、それから、この計画に合わせて生きられるように支え、協力するはずです。このように生きることによってこそ私たちも、最高の夫や最高の妻、最高の父や最高の母、また、最高の兄弟や最高の友となり、最高の家族、最高の共同体、ひいては最高の社会を作ることができるのです。要するに、自らが神の望みに従って生き、他の人も神の望みに従って生きるよう、この人を支えることによって、聖ヨセフと同じように、神の国の実現のために大きく貢献することができるということなのです。

恵み豊かな父よ、あなたは、
聖家族を模範として与えてくださいました。
わたしたちが聖家族にならい、
愛のきずなに結ばれて、
あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

王であるキリスト・年間第34主日C年 (ルカ23,35-43)

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」ルカ23,39-41

聖書が教える通り、人間の苦しみの最終的な原因というのは、罪です。罪を犯すことによって人間は、神と人、人と人、自然と人の調和を破壊したため、この世に死とこの死の先取りである苦しみが入り込みました。この世に生まれる私たちは、何も悪いことをしなくても、この世の苦しみにあずかるし、悪を行うことによって、自分自身の苦しみと他の人、他の生き物の苦しみを増してしまいます。努力すれば、自分自身の苦しみや他の人、他の生き物の苦しみを少し和らげることや、少し減らすことができても、それ以上のことは何をしても、元の調和を回復することも、苦しみを取り消すこともできません。やがて、罪の最終的な結果である死を迎えることになります。

私たちと違って、神の御ひとり子には選択肢がありました。人間にならないこと、苦しみに満ちた世界に生まれないことを選ぶことができましたが、神の御ひとり子は人間になって、この世に生まれ、私たちの苦しい現状にあずかることを選びました。今日読まれる福音が描いている場面が、このことを良く表しています。

イエス・キリストは自ら進んで、苦しんでいる私たちと共にいてくださり、私たちの苦しみにあずかっています。しかし、それだけではなく、イエスはご自分に心を開く人に、自分の罪や自分の限界を素直に認めた上で助けを求める人に、楽園(パラダイス)を約束します。このパラダイスというのは、ただ一時的な苦しみからの解放ではなく、元の調和よりも素晴らしい状態、つまり愛による神と一体になることなのです。

「天と地の一切の権能を授かっている」(マタ28,18)キリストの約束を頼りにして、どんな苦しい状況にあっても、絶望に陥ることなく、希望をもって、イエスとの繋がりを保つことができますように祈りたいと思います。

全能永遠の神よ、
あなたは、天地万物の王であるキリストのうちに、
すべてが一つに集められるようお定めになりました。
造られたすべてのものが、罪の束縛から解放されてあなたに仕え、
栄光を終わりなくたたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第25主日C年 (ルカ16,1-13)

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」ルカ16,10

人間の財産や富というのは、必ずしもお金のことではありません。人によってそれは体力や体そのものであったり、いろいろな才能、能力、経験や学歴であったり、仕事や社会的な地位、また、いろいろな人間関係などのようなものであったりします。あなたの財産や富は、何でしょうか。また、あなたはそれをどのように、何のために用いているのでしょうか。

多くの人は、自分の財産や富が自分のもの、例えば自分が働いて手に入れたものですので、それを好きなように使う権利があると考えているようです。このような考えに従って、自分の富を自分のためにだけ利用する人は、そんなつもりがなくても、いつの間にか自分の富に仕えるようになって、この富によって支配され、場合によっては滅ぼされることさえあるのです。

イエス・キリストが私たちに教えているのは、私たちが持っているすべての富は、この世界を創造してくださった神からいただいたものであるということです。従って、神こそが、私たちが持っている財産や富の本当の所有者であって、私たちは、その富の管理者にすぎないわけです。神がこの賜物を何らかの目的のために与えてくださったので、自分の財産や富の最も賢明な扱い方というのは、それを私たちに委ねた神の意向に従って管理することなのです。最終的に、神は私たちのために、私たちが愛に生き、私たちが愛において成長することのみを求めておられますので、任されている財産を神の望みに従って使うとは、それを自分のためにだけではなく、他の人のためにも用いるということなのです。

イエス・キリストは、このように教えただけではなく、ご自身が正にその通りに生きておられたのです。実際に、イエスはこのように生きられたからこそ、完全な人になり、すべての人のための救いの源になられたのです。

イエスの模範と力に支えられて、私たちは世界の常識に逆らって、自分の財産を父である神の望みに従って管理することができますように。そしてそれによって私たちが生かされるだけではなく、私たちが出会う多くの人々も生かされますように祈りましょう。

ひとり子を与えるほど世を愛された父よ、
あなたは愛のおきてによって、
すべてを完成に導いてくださいます。
わたしたちが互いに愛し合うことによって、
人々にあなたの愛をあかしすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。