11月26日 王であるキリスト・年間第34主日A年 (マタ25,31-46)

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」マタ25,40

イエスがピラトの前で言ったように、ご自分の国はこの世に属していません(ヨハ18,36)。 したがって、王であるイエス・キリストの王国はこの世の王国と異なるものですし、イエス自身もこの世の王たちとまったく異なっておられる王なのです。イエスは軍隊も警察も持っていないし、誰にも服従を強いることもなければ、ご自分の王国を暴力によって守ったり、広めたりすることもありません。それからキリストは、仕えられる王ではなく、仕える王なのです。しかも、人の善のためにご自分の力を尽くすのみならず、ご自分の命さえもささげます。なぜなら、イエスは、ご自分の味方となっている人だけではなく、すべての人を愛しておられる王であるからです。

多くの人にとってそのような王は、非常に弱く見えるし、無視しやすくて、侮辱しやすい者なのです。けれども、イエスはご自分を無視する人も、ご自分を侮辱する人も愛し続けます。そして、この愛のゆえに、この人たちがイエスを自分の王として、自分の主として認めるようにと、ご自分の王国、つまり神の国に入るようにと、絶えず招き続けるのです。決して滅ぼされることも、消えることもないこの愛こそ、イエスの力なのです。死よりも強いこの愛のために、イエスの支配は終わることがないし、その王国は永遠に存在し続けるのです。

イエスの招きに応えて、イエスを本当に自分の王、自分の主として認めた人は、イエスと同じように愛に生きています。自分を生かすために他人を利用するのではなく、必要があれば自分を犠牲にしながらも、他人の善のために力を尽くします。したがって、愛に生きている人は誰でも、たとえイエスを知らなくて、意識的にイエスを自分の王として認めていなくても、実際にイエスに従っているし、イエスに属していると言えます。けれども、イエスを王として認めていると言いながらも、愛に生きていない人は、実際にはイエスに属しているとは言えないでしょう。

全能永遠の神よ、
あなたは、天地万物の王であるキリストのうちに、
すべてが一つに集められるようお定めになりました。
造られたすべてのものが、罪の束縛から解放されてあなたに仕え、
栄光を終わりなくたたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第33金曜日 (ルカ19,45-48)

「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。』」ルカ19,45-46

神がご臨在されたエルサレムの神殿は、祭司たちの仲介によって、すべての人々が神を礼拝し、神から必要な恵みをいただく祈りの家となるはずでしたが、祭司たちが自分たちの利益を優先して、神から与えられた使命を裏切ったがゆえに、神殿はこの役割を果たさなくなり、結局、破壊されました。そのとき以降、イエス・キリストは、永遠の神殿であり、唯一の大祭司であるのです。

私たちは、イエス・キリストとの交わりのうちに生きることによって、父である神を礼拝し、神から必要な恵みをいただくことができますように。そしてイエスに忠実に従うことによって、与えられた恵みを他の人に伝えることができますように祈りましょう。

信じる者の力である神よ、 
あなたに呼び求めるわたしたちを顧みてください。 
聖女セシリアの取り次ぎに支えられて、 
ふさわしい賛美の歌をささげることができますように。 
聖霊の交わりの中で、 
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
全能の神よ、
わたしたちがいつも聖霊の光を求め、
ことばと行いをもって、
み旨を果たすことができるように導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第33木曜日 (ルカ19,41-44)

「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……しかし今は、それがお前には見えない。」ルカ19,42

イスラエル人たちが神の言葉に従って生きていたときに、彼らの国は栄えていましたが、神の言葉を無視して、神から離れた時に、道徳的に堕落し、経済が衰え、政治も混乱した結果、分裂することや独立を失うこと、また、国が完全に滅ぼされることもあったのです。

神が示してくださる道からますます離れて行く現代の人々は、神の言葉こそが、皆が求める平和への道を示すものであるという事実を認め、滅びに導く道を離れて、真の平和と幸福に向かって歩むことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、 
おとめマリアの奉献を記念して祈ります。 
聖マリアの取り次ぎを願うわたしたちが、 
豊かな恵みといのちにあずかることができますように。 
聖霊の交わりの中で、 
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。