最後の警告

2.警告の準備

黙示録において6番目の封印が開かれた後に起こる警告の前には、他の4つの封印が開かれます。Mark Mallett i Daniel O’Connorの解釈によると、2番目の封印の開封(黙6,3-4)[1]は、世界平和の崩壊、すなわち主要な武力紛争の発生、3番目の封印の開封(黙6,5-6)[2]は、世界経済の崩壊、4番目の封印の開封(黙6,7-8)[3]は、社会秩序の崩壊、および5番目の封印の開封(黙6,9 -11)[4]は、キリスト教徒の迫害を象徴的に告げるものです。

私たちはすでに、これらすべての予告のさまざまな程度の実現を体験することができます。象徴的なハリケーンの目に、つまり警告に近づくほど、出来事の強度とペースが増し、世界の状況はますます悪化すると考えられます。世界の混乱は、地震、火山噴火、洪水、飢饉、新しい病気などのさまざまな自然災害によって、さらに悪化されるようです。

多くの私的啓示では、イエスとマリアの両方が、近い未来に突然に、食糧がなくなると警告しています。したがって、その時を待たずに今すぐ、食料や水や薬などの備蓄を準備するように促します。この危機は、洪水がノアの警告を信じなかった人々を驚かせたように、多くの人々を驚かせます。ですから、私たちは自分自身と自分の家族のためだけでなく、何も準備できない人々と分かち合えるために余分な備蓄をすることが望ましいです。

科学と技術の偉大な功績のおかげで、現代人類はこれまで解決できなかった問題を解決し、昔は絶対に治せなかった多くの病気を治すことが可能になりました。また、現代の科学と技術は、他に多くの新しい可能性を与えるために、多くの人々が快適な暮らしをすることが出来るようになりました。けれども、そのようなありがたい結果以外に悲しい結果もあります。現代の多くの人々は、人類にはすべての問題を解決する力があり、長くて、幸せな生活、少なくとも快適で、楽しい生活を確保できると確信するようになりました。この幻想の中で生きる人は、神の戒めを無視するだけでなく、創造主によって確立された自然法則に完全に反する法律を作るほど傲慢になってしまったのです。

永遠に続き、益々快適で安全になると多くの人によって思われたこの世界は、目の前で消滅しつつあります。現在の世界の破壊は、人間の傲慢と不信仰に対する神の復讐ではなく、人間の罪深い行動の結果です。これらの行動は、人間と神との関係、対人関係、自然環境を破壊するだけでなく、人間の最大の敵であるサタンの行動に対して、個々の人間と人類全体の開放性を高めます。

今まで、神はサタンの行動と人間の罪深い選択の痛ましい結果の両方を制限してきました。このようにして、神は人への愛を示し、人々を回心と和解に招きました。残念ながら、ほとんどの人は神の招きに応じませんでした。それどころか、彼らは神の善意を不処罰で罪を犯すために悪用しています。そのような状況では、人の回心の最後のチャンスとは、自身の罪深い行動の苦しい結果、またサタンの憎しみと彼の破壊的な力を経験することです。その理由で、神が既存の制限を少しずつ取り除き、人とサタンの両方がますます思うままに行動することを許しておられるわけなのです(2テサ2,1-12)[5]

3.警告 =>


[1] 「小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。」(黙 6,3-4)

[2] 「小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」(黙 6,5-6)

[3] 「小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。」(黙 6,7-8)

[4] 「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。」(黙 6,9-11)

[5] 「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。

今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。」(2テサ 2,1-12)

コメントを残す