6.「成し遂げられた」

「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」ヨハ 19:30

 「成し遂げられた」という言葉を語ることによって、イエスはご自分の使命を完全に果たしたことを宣言します。最初から最後まで、いろいろな妨げに逢っても、誘惑されたり、迫害されたりしたにも関わらず、イエスは神への愛と忠実を尽くし、受難や十字架上での苦しみの中にも愛し続けてきました。イエスは、何の誘惑にも陥ることがなかったのは、神に対する愛がイエスの最も大事な宝物であったから、しかも自分の命よりも大切なものであったからです。他の人と同じようにイエスは苦しみや死を恐れていました。けれども、この恐れはイエスに神の愛から離れることや、神の愛を裏切ることをさせることができませんでした。イエスは感じていた恐れに左右されることなく、その奴隷になっていませんでした。なぜなら、イエスは神の愛があらゆる悪、あらゆる苦しみ、死よりも力強いものであるという確信をもっていて、この愛にだけ希望をおいていたからです。

 すべての人々は、愛によって、また愛に生きるために創造されています。けれども、非常に多くの場合私たちは、様々な欲望や恐れの奴隷になっているために、簡単にいろいろな誘惑、つまり、偽りの希望をもたらす嘘の被害者になってしまいます。そして、少しばかりの楽しみや快楽を得るために、または、苦しみを逃避するために、特に変化に伴う苦しみを避けるように慣れてきた生き方を保つために、愛を拒んだり、それを裏切ったりします。したがって、私たちは、いろいろな欲望や恐れ、特に苦しみや死に対する恐れの奴隷であり続ける限り、心の中で愛を求めていても、愛に生きることができないのです。

 イエス・キリストは、私たちをそのような奴隷状態から解放したいと望んでおられます。そして、私たちを欲望や恐れから解放するために神の愛の素晴らしさとその愛の力強さを示してくださるのです。もし、イエス・キリストとの出会いによって、この愛を体験するならば、さらにこの愛を受け入れ、自分の最も大切な宝物にして、この愛があらゆる悪と苦しみ、また、死よりも力強いものであると信じるようになるならば、私たちはイエス・キリストのように自由になって、どんな状況においても愛に生きることができるようになるのです。

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