はじめに

数えきれないほど多くの人々が経験したとおり、聖書には、人間を励まし、慰め、強める力、また、間違った生き方を変え、人生を有意義なものにする力、そして、真の幸福に導く力があります。それは、私たち自身と私たちが生きているこの世界を創造してくださった神の言葉、言ってみれば、人間の創造主である神が私たちに与えてくださった「人生のマニュアル」であり、すべての時代、すべての文化、あらゆる状況に生きているすべての人のための個人的な導きであるからです。なぜ、万人にとっての個人的な導きと言えるのでしょうか。それは、第2バチカン公会議のときに教会が教えたように、「天におられる父は聖書の中で深い愛情をもって自分の子らと出会い、彼らとことばを交わす」(『啓示憲章』21)からなのです。つまり、聖書は、人間にとって、いつくしみ深い父である神と出会う場、また、対話の場であるからこそ、ヘブライ人への手紙の中で書き記されているように、「神の言葉は生きていて、力が」(ヘブ4・12)あるのです)。

けれども、聖書はそれほど素晴らしくて、あらゆる書物の中で最も重要な本であっても、非常に難しいものでもあります。聖書を読んでみる多くの人々は、神の言葉の力を体験する代わりに、この難しさゆえに、聖書を読むのをあきらめてしまいがちです。聖書を忍耐強く読み続ける人の中には、聖書によって励まされ生かされるどころか、逆にますます混乱し、戸惑い、場合によっては、躓いて、聖書からだけではなく、信仰や神ご自身から離れてしまう人もいます。預言者イザヤの書を朗読していたエチオピア人の宦官が、「読んでいることがお分かりになりますか」というフィリポの質問に答えて、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(使8・30-31)と言ったとおりなのです。

皆さんにとって聖書が、父である神と出会う場、また、神との対話の場、永遠の命の糧となるために、つまり、イエス・キリストとの交わりを深め、愛における成長を促すものとなるために、聖書の特徴、聖書が作成された過程、聖書の解釈、また、神の言葉の黙想について、なるべく分かりやすく説明したいと思います。この説明が多くの人にとって、聖書を読むための手引きとなり、聖書の読書が実り豊かなものとなるようにお祈りします。

なお、聖書からの引用は、『聖書新共同訳』(日本聖書協会)によります。一部、フランシズコ会訳に従って、改変した箇所もあります(「神の言葉」)。

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