1.神の作品であり、人間の作品である聖書

聖書は、一冊の本に見えますが、実際には73冊の文書を一箇所に集めている「図書館」のような書物です。聖書の中に入っている一番古い文書は、紀元前10世紀に書かれたものです。一番遅い段階で書かれた文書は、西暦1世紀のものです。つまり、聖書全体は、1000年以上の間に、非常に多くの人によって作成された文書、しかも、複数の言語(ヘブライ語、アラム語、ギリシア語)で、様々な所で、様々な政治・経済的状況の中で書かれたものです。また、聖書には、歴史的な物語やたとえ話、預言的や黙示的、また、詩的な表現形式とその他の文学類型があります。

神の作品

それほど多くの相違を持っている文書が、なぜ、一つの聖書になっているのでしょうか。それは、聖書に含まれているすべての文書に一つの重要な共通点があるからです。その共通点とは、共通の作者であること、すなわち、神ご自身作者であるということです。実に、聖書が他のすべての書物と異なる聖なる書であるのは、そのためなのです。勿論、神が聖書の作者であるといっても、神ご自身が直接、それらの文書を書かれたということではありません。西暦553年にコンスタンチノープルで開かれた公会議の中で、教会は次のように教えました。「尊き母なる教会は、旧約および新約の全部の書をそのすべての部分を含めて、使徒的信仰に基づき、聖なるもの、正典であるとしています。なぜならそれらの書は、聖霊の霊感によって書かれ、神を作者とし、またそのようなものとして、教会に伝えられているからです」(第2コンスタンチノープル公会議)。

人間の作品

カトリック教会は、第2バチカン公会議の公文書の中で、聖書が聖霊の霊感によって書かれたことを次のように説明します。「神は聖書を作り上げるにあたってはある人々を選び、彼らの才能と能力を利用しつつ採用したのである。こうして、神が彼らのうちで彼らを通して働くことによって、彼らは真の作者として、神が欲することのすべてを、またそれだけを、書き物によって伝えたのである」(『啓示憲章』11)。つまり、神は真の作者であっても、唯一の作者ではないということです。言われた言葉のみを書き記す秘書のようではなく、神から受けた啓示を、個人の才能と能力に応じて自分の言葉で文書を書いた、人間である聖書記者も真の作者です。したがって、聖書の言葉には、神が伝えたいと望まれたことだけではなく、聖書記者の性格や趣味、彼の知識や世界観、さらには、当時の常識や、考え方なども含まれているわけです。

人間の言葉となられた神の言葉

神の作品である聖書が、同時に人間の作品でもあるとは、大きな神秘です。この神秘は、イエス・キリストが真の神であり、真の人間であるという神秘の反映です。この神秘について教会は、次のように教えています。「かつて永遠なる父のみことばが、人間の弱さをまとった肉を受け取って人間と同じようなものになったのと同様に、神のことばは人間の言語で表現されて人間のことばと同じようなものにされた」(『啓示憲章』13)と。イエス・キリストが、罪を除いて他の人と同じ人間になられたように、聖書において神の言葉は、誤りを除いて人間の言葉になったのです。言い換えれば、人間の言葉となった神の言葉は、真理を誤ることなく伝えているということです。それについて、カトリック教会のカテキズムに次のように書かれています。「霊感によって書かれた書は、真理を教えます」(カテキズム107)。また、「神の啓示に関する教義憲章」には、次のように書かれています。「それゆえ、霊感を受けた作者すなわち聖書記者たちが主張していることはすべて、聖霊によって主張されているとしなければならない。したがって、聖書は、神がわれわれの救いのために聖なる書として書き留められることを欲した真理を堅固に忠実に誤りなく教えるものと公言しなければならない」(『啓示憲章』11)。

救いのための真理

聖書を正しく理解するためには、少なくとも、聖書に対して不当な期待を持たないために、聖書が誤りなく伝えている真理の性格を知らなければなりません。それは、私たちが、救いのために必要としている真理なのです。言い換えれば、私たちが聖書を読むのは、天文学的や物理学的真理、医学的真理、あるいは、歴史的真理を知るためではありません。なぜなら、そのような真理は、救いの恵みを受けるために必要ではないからです。世界の構成や人間の体の構成を知っていても、人生の目的やその意義、また、正しい生き方を知らない可能性、また、実際に正しく生きていない可能性があるでしょう。逆に、難しい学問を知らなくても、正しく、つまり、創造主である神の意志と人間の本質にしたがって、人間らしく生きることができます。聖書には、このような真理、つまり、創造主である神が人間のために定めた目的に向かって歩むために必要な真理のみを、見出すことができるのです。

聖書を正しく理解し、聖書の言葉によって生かされるためには、聖書の最も根本的な特徴、つまり、聖書は、神の作品であると同時に、人間の作品でもあるという性格を常に意識しなければなりません。まず、神が聖書の作者であるとは、聖書の内容、つまり聖書が伝えている真理、救いのために必要な、普遍的な真理は、神によって決められたということです。そしてまた、人間が聖書の作者であるとは、この真理を伝える方法、つまり表現の形式、文学的な形などは、人間が決めたということです。

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