1.「天におられるわたしたちの父よ」

「主の祈り」の最初の言葉を唱えることによって、私たちは、自分の祈りの対象、つまり、誰に向かって祈るかを意識します。日本語の文法の関係で、「天におられる」が先になっていますが、福音書が書かれたギリシャ語では、「わたしたちの父」が先になっています。つまり、私たちが祈っているときに、先ず父である神に向かって祈っていることを意識するようにイエスが教えてくださるということです。その際、地上の父ではなく、イエスが表してくださった天の父のことを考えることが大事です。父である神は、慈しみ深い方で、私たちを無条件に愛し、いつも私たちと共におられ、私たちが何をしても絶対に私たちを見捨てることがありません。私たちを幸せにするために、神は自分のすべてのものを分かち合い、全力を尽くして働いてくださる方で、誰よりも信頼のできる方です。この信頼を表すために、イエスは神のことを「父」だけではなく、「アッバ」つまり、「お父さん」、または、「パパ」と呼んでいました。パレスチナにおいて、「アッバ」という言葉を唱える幼い子どもは自分の父親に対する絶対的な信頼を表しています。残念ながら、地上の父親の場合は、子どもの絶対的な信頼には、何の根拠もないので、父親に絶対的な信頼をかかえる子どもは、がっかりするに決まっています。時に、父親は、できることさえしないか、自分の子どもに害を与えることもありますので、子どもの信頼は、父に対する恨み、憎しみや軽視に変わることも少なくないです。けれども、イエス・キリストの体験と、数えきれないほど多くの人の体験が示している通りに、天の父は、ご自分に対する信頼を絶対に裏切ることがないのです。確かに、イエス・キリストは、父である神の御独り子ですが、私たちが洗礼を受けるときに、神の命と神の愛である聖霊を与えられたことによって、養子とされましたので、イエスと同じように神に向かって「アッバ」と言うことができます(ロマ8,15)。要するに、私たちはイエス・キリストと同じように、完全に安心して、大胆に神に近づき(エフェ3,12)、神にすべてをゆだねて、神との親しい交わりの内に生きることができるということです。

私たちは、大きな親しみを込めて神のことを「父」と呼ぶときに忘れてはいけないことがあります。神は、ただ「私の父」であるのみならず、「私たちの父」、つまり、神の愛と命を受けて、神を自分の父として認めたすべての人の父であるということなのです。実は、神は私を愛してくださるように、すべての人を愛しておられますし、神は私が神の命にあずかり、愛の絆によって神と結ばれることを求めておられるように、すべての人々が神の命にあずかり、愛の絆によって神と結ばれることを求めておられるのです。結果的に神が求めておられるのは、すべての人々が愛の絆によって互いに結ばれること、真の兄弟姉妹になることなのです。神は、すべての人々を神の家族として集めるために、常に働いておられますし(マタ 23,37)、この望みを実現するために、ご自分の子どもとなった私たちの協力を求めておられる(マタ5,16)ということも、神のことを「私たちの父」と呼ぶときに思い起こすのが大事なことです。

私たちが、誰よりも信頼することも、親しく交わることもできる父は、「天におられる方」であるということをも意識するようにイエスが教えてくださいます。神が、「天におられる」とは、距離の問題ではく、本質の問題です。要するに、神は、どこか遠いところ、例えば雲の上におられるということではなく、地上のものである私たちと、本質的に全く異なる方であり、私たちの現実を完全に超越しておられる方であるということなのです。人間と神の相違は、有と無、有限と無限、相対と絶対、無力と全能、被造物と創造主との相違です。この事実は、ホセア書の中で次の言葉で表現されています。「わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。」(ホセ 11,9)確かに、神は、私たちの世界を超越しておられるほど偉大な存在で、私たちに全く理解も想像もできない、誰よりも畏れ敬うべき方であるために精神的に最も遠い方であると同時に、いつも私たちと共にいてくださり、ご自分の愛と命を与えてくださって、私たちの内におられる方であるために、誰よりも身近な存在です。これを理解するのは、確かに非常に難しいことです。また、祈るために、神の前に立つときにこの事実を意識しようとしている人に緊張感をもたらすものでもあります。けれども、この緊張感は、祈りを妨げることになりません。逆に、この緊張感のためにこそ、神のことを当たり前の存在として考えることも、神の前で平気になることもできず、常にこの両極端の間にいながら天の父と接する私たちは、生かされますし、神との交わりが段々と深まっていくのです。

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