2.「御名が崇められますように。」

聖書の世界において、「名」とは、「その人の本質、その人自身、その人の生き方を表します」(カトリック教会のカテキズム203)。ですから、「み名」を崇めるとは、神ご自身を崇めることなのです。「神を崇める」ことは、理解しやすい表現であるかも知れませんが、新共同訳の「御名が崇められますように」という表現よりも、祈りのための翻訳が用いる「み名が聖とされますように」という表現の方が、新約聖書の中で使われているギリシャ語の言葉に近いです。

けれども、元々聖そのものである神が聖とされるように願い求めるとは、どういうことなのかという疑問が生じるかも知れません。それは、実際に聖なる存在である神を、聖なる存在として認めて、敬い、礼拝するということなのです。

ですから、「み名が聖とされますように」と祈る私たちは、すべての人々が神ご自身の名を、つまり神の本質を、神がどんな方であるかを、特に神こそが慈しみ深い父であり、すべての人々を愛しておられる方で、愛そのものであるということを知るようになって、神を神として認め、神との正しい関係に入るようになることを願い求めるということなのです。

実は、「永遠の命とは、唯一のまことの神であられる」父と「イエス・キリストを知ることです」(ヨハ17,3)から、「み名が聖とされますように」という祈りは、すべての人々の救いのための祈りなのです。

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