5.「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」

神は、イスラエルの民をエジプトから導き出されて、荒れ野でマンナ(マナ)と呼ばれるようになった食物を与えてくださいました。神は、必要以上にこの食物を与えてくださいましたが、一日に必要な分を集めることだけがイスラエル人に許されました(出16,14-16)。おそらく、このような働きと決まりによって神は、イスラエル人の命は、神に頼っていることを示されたと同時に、彼らにご自分に対する信頼を教えてくださったと思います。

イエス・キリストが私たちに祈りの中で、一年間分とか、一週間分の食物ではなく、今日のために必要な糧だけを願い求めるように教えてくださったのは、砂漠にいて、何も持っていなかったイスラエル人の命と同じように、必要以上にたくさんの食物を持っている私たちの命も、神に頼っていることを意識させるため、また、この意識を保つためなのです。考えて見れば、食物は命を養い、命を保つものであって、命を与えるものではありません。自然に考えれば、私たちは、両親から命を与えられましたが、厳密に言えば、両親が私たちに命を与えたということではなく、自分たちがいただいた命を私たちに伝えただけなのです。最終的に、創造主である神が命の源であり、命の主なのです。人間がそれを意識しなくても、その命は、人間の所有物のではなく、神の賜物なのです。言い換えれば、生きるとは、神の命にあずかることです。実際に、創造主であり、命の源である神だけが、人間のすべての本当の必要性を満たすことのできる唯一の方なのです。

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」と唱えるときに私たちは、神が命の主である事実を認めながら、頂いている命と常に生かされている恵みを神に感謝して、これからも、生かしてくださるように願い求めるのです。

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6. 「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」