6月4日 聖霊降臨の主日A年 (ヨハ20,19-23)

「人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。』」使2,7-8

バベルの塔の物語(創11,1-9)が教えている通り、人類が神を無視して、自分の力にだけ頼って幸せになろうとしている時、段々と分裂して、互いに誤解したり争ったりして、結果的に皆が不幸になるのです。

聖霊降臨は、バベルの塔の物語が描いている人間の働きと正反対の結果をもたらす出来事です。元々互いに理解していなかった人たちは、聖霊の働きによって、互いに理解するようになり、キリストを中心とする共同体を作り、一緒に力を合わせて神のわざに協力することによって、創造主である神が求めている一致に向かって歩むようになりました。神における人類の一致こそ、神が最初から求めていることであり、すべての人にとって最高の幸福の状態なのです。聖霊降臨の日に生まれた教会は、全人類をこの目的に導く使命を与えられています。

洗礼の時に聖霊を与えられた私たち一人ひとりが、聖霊の導きに忠実に従い、イエス・キリストと同じように神の愛を示すことによって、多くの人々を神のもとに引き寄せることができますように祈りましょう。

すべての人の父である神よ、
きょう祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生に当たって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月28日 主の昇天A年 (マタ28,16-20)

「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」マタ28,18-20

イエスは、父である神から一切の権能、すなわち神ご自身の権力を与えられたと言われましたが、この権力とは、どのようなものなのでしょうか。

この世において、神の望みに適わないことが沢山起こっていますので、神は残酷な悪に対して無力であるような印象を受けることがあっても、不思議ではないでしょう。けれども、神の支配はそのような印象を与えることがあっても、実際に、父である神がこの世の真の支配者であり、神には創造のわざを最初から求めていた目的に導く力があるのです。

神が無力であるように見えるのは、神の支配の仕方が、私たちが自分の経験から知っている支配の仕方と全く異なっているからです。この世の支配者と違って、神は一人ひとりの人間の自由意志を尊重しておられるがゆえに、神がご自分の意志を実行するために、絶対に暴力を用いることがありません。神が用いる唯一の力というのは、忍耐強くて、誠実な愛なのです。神はこの愛によって人間をご自分のもとに引き寄せ、この愛によって人と、死よりも強い絆を結び、この愛によって人と永遠に一致しておられるのです。

残念ながら、神の愛が無力で、何も役に立たないと思っている人々は、この愛に応えず、神を無視したり、神に逆らったり、神を攻撃したりします。神は、愛しておられる人間のこのような振る舞いによって、傷付けられ苦しみますが、決してこの苦しみに左右されることがありません。人が神に逆らったりすることによって神を苦しめても、神はこの人を愛し続けるし、この人のために善を行い続けます。神はご自分に、より大きな苦しみを与えた人に、より大きな愛を注ぎます。人間の振る舞いしか変えることのできない暴力と違って、神の愛には人間の心を変える力、人間をキリストの姿に変える力があるのです。

さて、イエス・キリストを自分の主として認めている私たちが、イエスの導きに従い、イエスと同じように愛に生きることによって、神ご自身の愛を証しし、神の支配を広めることができますように祈りましょう。

 全能の神よ、
あなたは御ひとり子イエスを、
苦しみと死を通して栄光に高め、
新しい天と地を開いてくださいました。
主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。
キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、
ともに永遠のいのちに入らせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月21日 復活節第6主日A年 (ヨハ14,15-21)

「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」ヨハ14,21

愛そのものは、形のないものですので、愛している人が自分の愛を表現しない限り、誰もこの愛を知ることができません。けれども、愛されている人は、愛されていることを認識するために、この表現を愛の表現として受け取らなければならないのです。

父である神は数えきれないほど多くのしかたで、私たちに対するご自分の愛を表してくださいます。この世界と私たちを創造してくださったこと、絶えず私たちの命を支えてくださることは、神の愛の表現です。神の愛のもっとも完全な表現というのは、イエス・キリストです。イエスの教えだけではなく、イエスの生き方、イエスの死と復活は、父である神の愛の素晴らしさと偉大さを現しています。イエスが遣わしてくださった聖霊もご自分の働き、特にキリストの神秘的な体である教会を生かし導くこと、神の言葉である聖書を私たちに与え、聖書の言葉をとおして私たちに語り、私たちの暗闇を照らし、慰め、癒し、力付けることによって、神の愛を現してくださるのです。

神はご自分の愛を、それ程までに強く表現しておられるにも関わらず、誰かがまだ神の愛を知らずに、神に愛されていることを認識していないとするならば、それは、自分の目や耳、特に自分の心を開いていないということになるのです。

ますます多くの人が神の愛の表現を読み取ることによって、神の愛を知るようになり、この愛を受け入れ、愛に生きることによって、自ら他の人のために神の愛のしるしになりますように祈りましょう。

全能の、神である父よ、
復活された主イエスの記念を真心こめて祝います。
この喜びを、
わたしたちが日々の生活の中に保つことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。