四旬節第2土曜日 (ルカ15,1-3.11-32)

「父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のもだが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」ルカ15,31-32

存在と命そのものである神は、あらゆる存在とあらゆる命の源です。同時に、愛そのものである神は、真の愛の源なのです。ですから、人間は神を無視したり、神に背いたりして、放蕩息子が父から離れたように神から離れるならば、その命も愛も衰えます。最終的に、人間は全く愛のない状態の中で、誰とも繋がっていないまま、しかも、繋がる希望もないまま、永遠の死にあずかるようになるのです。

神から離れているすべての人々は、いつくしみ深い父である神を信頼し、神のもとに立ち戻り、神と和解することによって、神の愛と命にあずかることができますように祈りましょう。

いのちの源である神よ、
あなたは、この世に生きるわたしたちを、
秘跡の恵みによって
朽ちることのないいのちにあずからせてくださいます。
わたしたちの日々の歩みを照らし、
永遠の国へ導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第3主日B年 (ヨハ2,13-25)

「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」ヨハ2,15-16

神は、いつも私たちと共におられるし、ご自分の愛を表してくださり、私たちの心の中でご自分に対する愛を起こそうとしておられます。神がこのようにされるのは、私たちを愛によって、愛に生きるために創造してくださり、私たち一人ひとりが愛をもって神の愛に応えることを常に望んでおられるからです。この望みを実現すために神は、イスラエルにご自分との交わる場として神殿を建てるように命じたのです。

イエスは、神殿から商人を追い出すことによって、そこで行われていた儀式がもはや神の心に適うものではなくなっていて、本来の役割を果たしていないことを示そうとしました。当時はこのしるしを誰も読み取ることができませんでしたが、神殿が神との出会いの場になっていて、命と祝福を受け入れるところであるように見えても、実際にそうではなかったという事実は、凡そ40年後、神殿が破壊されることによって明らかにされたのです。

エルサレムの神殿は壊されましたが、それを建て直す必要はありません。なぜなら、 “四旬節第3主日B年 (ヨハ2,13-25)” の続きを読む

四旬節第2金曜日 (マタ21,33-46)

「イエスは言われた。『聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。」』」マタ21,42

イエス・キリストが「ぶどう園と農夫」のたとえによって教えてくださっているのは、多くの人々が神の救いの計画に協力する代わりにそれに逆らっても、神は必ずこの救いの計画を実現してくださるということです。けれども、救いの計画が実現されても、回心しない人々はそれにあずかることができない危険性があるのです。

ますます多くの人々が、父である神が遣わしてくださったイエス・キリストを信じ、イエスを受け入れることによって、神の国に入り、救いにあずかることができますように祈りましょう。

全能の神よ、
回心に励むわたしたちを清めてください。
新しい心で主の過越の神秘を祝うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。